佛性山金剛院 無爲信寺 | 浄土真宗真宗大谷派 | 新潟県阿賀野市

Collection
所蔵品

無爲信寺_所蔵品

国の重要文化財、新潟県指定有形文化財をはじめ、徳龍などが集めたとされる約2万冊もの書物や、仏教や真宗関係の史料、絵画、墨蹟などがございます。

金剛頂経曼殊室利菩薩 五字心陀羅尼品

重要文化財(国指定)

金剛頂経曼殊室利菩薩 五字心陀羅尼品
こんごうちょうきょうまんじゅしつりぼさつごじしんだらにぼん

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員数
1巻
作者
淳祐(しゅんにゅう)
時代
平安末期
種別
書跡・典籍
指定年月日
1959年(昭和34年)6月27日

滋賀県大津にある石山寺の中興の祖、淳祐(しゅんにゅう・890―953年)による巻物です。淳祐は平安時代中期の真言宗の僧であり、祖父は学問の神様と呼ばれているあの菅原道真です。淳祐は般若寺の観賢(かんけん)に師事し、出家。延喜21年(921年)11月、観賢と共に高野山奥の院の御廟にて、入定中の弘法大師の膝に触れたことにより、弘法大師お衣の薫りが淳祐の手に移り、終生消えることがなかったといわれています。そのため、淳祐の書き写した経巻などは弘法大師の薫りが移ったとされ「薫の聖教(かおりのしょうぎょう)」とも呼ばれています。

この金剛頂経には、淳祐以降のこの写経が伝授された人々の名前(淳祐、朗澄、勝賢、覚厳、親祐等の相伝関係)や、承安4年(1174年)の伝授奥書も記されています。また無爲信寺に所蔵されている淳祐の自筆写経は、香樹院釋徳龍(こうじゅいんしゃくとくりゅう・1773―1858年)により、江戸時代後期に集められたものといわれています。

淳祐が書いた写経(自筆写経)は、滋賀県の石山寺の聖教60巻と、京都の仁和寺、醍醐寺に1巻ずつ、そして無爲信寺にあるだけで、とても貴重なものとされています。

悉曇集記_上中巻
悉曇集記上・中巻

重要文化財(国指定)

悉曇集記<上・中巻>
しったんじっき

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員数
2巻
作者
淳祐(しゅんにゅう)
時代
平安末期
種別
書跡・典籍
指定年月日
1959年(昭和34年)6月27日

金剛頂経曼殊室利菩薩五字心陀羅尼品(以下金剛頂経)と同様、悉曇学者としてきこえ高い淳祐自筆の写経の一つです。江戸時代に当寺から輩出した香樹院釋徳龍によって収集されました。

悉曇(しったん)とは、インドの言葉である「サンスクリット語」を書きあらわす文字「梵字(ぼんじ)」の字体のひとつで、日本で主に使われてきたものです。 淳祐はこの悉曇の学者として知られており、淳祐の学問の研鑽ぶりを示すものです。

この写経も金剛頂経同様、「薫の聖教(かおりのしょうぎょう)」と呼ばれています。

藤原氏系図_隆家流

重要文化財(国指定)

藤原氏系図<隆家流>
ふじわらしけいず(たかいえりゅう)

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員数
1巻
作者
時代
南北朝
種別
古文書
指定年月日
1969年(昭和44年)6月20日

縦27cm、長さ10.61mの巻物。紙数24紙からなります。南北朝時代(14世紀前半)に書かれたもので、藤原氏の先祖から鎌倉時代の末までを記しています。

題名はなく、巻末に欠失がありますが、南北朝時代に書き写された藤原氏系図であって、全巻一筆。 日本神話に登場する神、「天児屋根命(あまのこやねのみこと)」から始まる「藤原氏本宗系図」を、道隆、伊周(これちか)までかかげ、ついで道隆の子、隆家を中祖とする「藤原氏庶流系図」を鎌倉時代末まで続けてあります。

内容的には日本の初期の系図集である「尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)」所収の摂家相続系図と一致しており、これに「隆家流系図」を接続し、「藤原氏庶流系」として1巻にまとめたものと考えられています。そのため両系図の接続部分において系線に自然さを欠く部分もありますが、書写の様子からみて本巻は草稿段階のものと推定されています。

藤原氏系図の中でも時代のさかのぼる古写本として、大変貴重なものです。

方便法身尊像

新潟県指定有形文化財

方便法身尊像
ほうべんほっしんのそんぞう

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員数
1幅
時代
鎌倉室町
指定年月日
1963年(昭和38年)3月22日

方便法身像とは阿弥陀仏の絵形尊像のことです。こちらは無爲信房の開基本尊との伝承があります。絹地に彩色を施した絹本着色(けんぽんちゃくしょく)でできており、縦89.0cm、横35.3cm。像高の大きさは縦49.8cm、頭巾8.6cm、頭長9.2cm、光輪径21.4cm。袈裟田相部は雷文模様になっており、光明の総計48本(上9・下9)あります。

作成年代は1400年頃(室町時代初期)のものと推定され、本願寺が門徒に下付した最古の本尊であるとされています。

方便法身尊像

新潟県指定有形文化財

古論草
ころんそう

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員数
283冊
時代
鎌倉室町
指定年月日
1958年(昭和33年)3月5日

正治3年(1201年)から元禄17年(1704年)までの法隆寺の講会のテキストとして用いられていたものです。その大部分は法相唯識宗(ほっそうゆいしきしゅう)に関する経論疏(きょうろんしょ)となっており、当寺の香樹院釋徳龍が唯識研究のために取得したものと考えられています。

親鸞聖人半身御影

親鸞聖人半身御影
しんらんしょうにんはんしんごえい

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親鸞聖人89歳の御影です。京都にて病床の聖人を、無爲信房はじめ56名の門下が見舞の折に渡されたという伝承があります。
教如寿像

教如寿像
きょうにょじゅぞう

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絹地に彩色を施した絹本着色(けんぽんちゃくしょく)でできており、大きさは縦98.6cm、横39.0cm。右側に「教如」の銘が入っており、像の上には「必至无上浄信暁」「三有生死之雲晴」「清浄无碍光耀朗」「一如法界真身顕」と書かれています。
伝宣如

伝宣如十字名号
でんせんにょじゅうじみょうごう

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東本願寺第13世である「宣如(せんにょ)」が7歳の時に書かれたといわれている十字名号です。十字名号とは「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」ともいい、お内仏(仏壇)に本尊の脇掛として掛けます。
無爲信寺保管書物

保管されている書物・その他の所蔵品

無爲信寺には国の重要文化財、新潟県指定有形文化財をはじめ、徳龍などが集めたとされる約2万冊もの書物や、仏教や真宗関係の史料、絵画、墨蹟など多数がございます。こちらの所蔵品の一部は毎年7月に行われる「虫干法要」で展示、説明を行っております。「虫干法要」はどなたでもご参加いただくことができます。

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